JN1DNG Profile


幼少の頃からラジオを壊したり時計を壊したり、決して元に戻すことのできなかったイタズラ坊主。
  ラジオ少年が無線小僧に、ついには無線オジサンへと変化、現在に至る。
無線では夢はあれどHigi−Powerはできず、表だったDXもできず、ただダラダラと30年。
  1952年    名古屋から北北東約40Km、岐阜県加茂郡八百津町に
           生まれる。 当時は可児(カニ)郡錦津(ニシキツ)村といった。

  1961年頃   小学3年生の頃、ゲルマニュームラジオを作ったのに
           ラジオは聞こえず何やら私的な会話が聞こえる。
           後々、これがどうも3.5だったらしいと気づく。

  1962年頃   3.5おぼしきものがアマチュア無線と知る。
           やりたくてウズウズするも、試験を受ける手段がまるで分からず、しばらくそのままに。

  1965年〜   中学に入り野球が忙しくてHamのことなどすっかり忘れる。

  1968年〜   中学を卒業する年、思い出して4月期に電信級と電話級を同時受験。
           自作のRF1/IF2の受信機と807×1の送信機でJA2QXY開局。
           高校では「電信できないものは入部できないという」厳しいクラブJA2YFEに属し、
当時の鬼の先輩JA2KSGに電信をたたき込まれ、先輩の電波監理局に勤務するYFE−OBで
通信士のライセンスを持つJA2HKBに和文を勧められる。
 くやしいので、和文は一生懸命やったらJA2KSGを追い越した。
           高校1年の10月期、和文を覚えたついでに2級と1級を同時受験するも、
全く勉強をしないで臨んだら、さすがに1級はくれず2アマのみ。
  そのとき科目合格していた1アマはその後Get。
悪のりで無線通信士・技士にも手を出す。 
高校3年生、この時期SSBをやってみたくなり、国際のメカフィルをお小遣いをはたいてやっとの思いで入手し
チャレンジ。フィルタが1ヶしかないので無謀にもフィルタ共用だけが目的でトランシーバに。
 ファイナルは2B46×2、21メガ以上は聞こえず・電波出ず、
このときから21以上が嫌いになった。
(21のせいではありません。私がイモだったのです) 
今考えるとHamに関しては一番忙しくもあり充実した時期であったかも?
理由は仕事ではないので責任がないこと。 
  1971年〜   4年間だけ勉強に行って来るとオフクロを説得して上京。
           4年どころかその後無線小僧がJA1MPの門をたたき、無線機屋の端くれに。
  
  1980年〜   この当時、7メガでJG1XLV等とGP一本でDXのまねごとに興じる。
           このころ転職などもあってダラダラとした無線ライフが続く。
転職を機会に、いつまでもJA2QXY/1でリニアを使うのに気が引けてJN1DNG開局。
 本当はJN1A**を狙ったのに・・・。 事実2週間前に申請した愚妻のコールサインはJM1W**。
 もう少し申請の間を詰めれば良かったとやや反省。以後もダラダラとした無線活動が続く。
  1986年頃〜  仕事では送信機が扱えずモヤモヤとした気分に浸り、そうしてもアマチュア無線機を作ってみたくなって
トランシーバ造りに着手。 会社の測定器を使い、残業と称して帰宅は毎日午前様。
 午前様の理由は仕事をやり終えてから無線機造りをしていたためです、念のため。

  1993〜4年  現TGCの発足の源、いい音・強い信号・何となく気になる信号を出す皆さんと
[On the air]を通じて知り合う。
  1995年〜   TGC発足。 発足当時の11名のメンバーにも加えていただき、現在に至る。 

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